医療法人社団晴栄会
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先祖供養

先日、ショックな出来事があり、落ち込んでしまった

2年前、父が亡くなった時に納骨堂を購入した。両親ともにその納骨堂に眠っている。

ついでに祖父母と曾祖父母のお墓が遠くにあり、お参りに行くには不便な場所なので、私都合で墓じまいを済ませた。

彼らのお骨も、両親と同じ納骨堂に移して、先祖まとめて供養出来るように整えた。

自宅近くにあり、いつでもすぐにお参りに行ける安心感があり、満足している。

子供たちにも、将来お墓を頼みますよ、と話している。

ご先祖様のお陰で、今の私がこうして元気に働き、生きていられると思うと、いつでも感謝の気持ちが湧いてくる。

誰一人欠けても、今の私は生まれていないのだから。

この話を友人らにしたところ、彼女らはお墓に対して良い印象を持っていなかった。

小さい頃からお墓参りが嫌だったと言う。

お墓はお金もかかるし、維持も面倒だから要らない、と言うのである。

自分が亡くなってもお墓は要らないと。

若い頃はお墓や先祖供養のことなど話題に上らなかったので、友人らの考えは知らなかった。

こういう話はデリケートだし、いろんな考えがあって良い(はず)。

多様性を認めよう、いや認めるべきだろう。

頭では理解していても、気持ちがざわつく。

無性に悲しくなった。

何故だろう?

 

形式的なことにこだわらない性分は、友人らの中でもずば抜けていたと思う。

七五三に着物は着なかったし、成人式もやらなかった。

卒業式も着物で参加する人がほとんどだったが、私は洋装だった。

結婚式もやらなかった。

そのような私が、なぜお墓にこだわっているのだろうか。

よくよく考えたのだが、ご先祖様への感謝の気持ちの表現方法だと思う。

けじめをつけることで、自分自身が気持ちよくいられる。

表現は人それぞれで、どのような形式でも良い(のかな?)

私が納骨堂で供養するのは、ご先祖様への感謝やお礼という思いが強く、それを友人らに理解してもらえなかったことで寂しい雨にあたったようだ。

母の死が近かったこともあり、感傷的になっていたのかもしれない。

彼女たちもいろいろな思いがあって、お墓不要論を唱えているのだろうから、それはそれで尊重するべきで、善悪で判断することではない。

 

湿っぽい話題で恐縮だが、今回私の感じた寂しさや悲しさは、何か意味のあることだと思うので記録に残しておきたい。