スキンケア一元論
6月になりました。
新緑から深緑へ。
スキンケア
たかがスキンケア、されどスキンケア。
とても奥深いスキンケア。
肌のコンディションによって、元気になったり落ち込んだり。
肌がキレイだと自信を持って活動的。
肌荒れしていると、外出したり人に会うことも消極的になります。
自分にとってベストなスキンケアを探してみるものの、情報が多すぎて迷える子羊化している女性が当院を受診します。
戦後の日本社会では、「化粧品を使ったスキンケア」が主流であることに間違いないと思います。
それは、資本主義経済にスキンケアが呑み込まれており、沢山売って沢山消費されることを前提としている社会だからです。そのために化粧はマナーと刷り込み、それが正義だと大多数の人が信じているからです。多額の広告費をかけ、いや、最近は広告費のかからないSNS発信により(要らないものまで)売りつける資本主義の奴隷の“奴隷”になってはいませんか?
しかし、人類史を振り返ると、現代のようにたくさんの合成化粧品を使用している時代なんてありませんでした。
江戸時代以前は、へちま水や米ぬか、うぐいすの糞、椿油など身の回りにあるものを少し使う程度のことだったのでしょう。
当院のスキンケア方針は、あくまでもシンプルスキンケア。
きれいな素肌を手に入れるために、化粧品はほとんど不要です。いや、使わない方が肌に良いと言いたい![]()
肌の健康のためには、保湿剤1種類、日焼け止めがあればそれで十分。
日焼け止めも長時間外出時だけ塗ればOK。当院の患者様には全く塗らないという人もいるくらいです。
ファンデーションは油性だから肌が汚れます。酸化してくすみます。クレンジングで洗うと、皮膚のバリア機能は壊れます。
化粧品を手放せば、身の回りのスキンケア商品が少なくなり、身も心も解放されスッキリします。
ゴミも減り、環境にやさしく、持続可能なスキンケアです。
化粧品を塗るのが好きではなく、すっきり素肌で過ごしたいと願う女性向けのスキンケアを提唱しています。
「化粧品を使ったスキンケア」が主流なら、当院の肌ルネスキンケアは傍流です。現代社会における傍流だと自覚しています。
最近読んだ本の中で、以下の一文が私の琴線に触れました。
「社会に『主流』しか存在できなくなるとき、その社会は不自由で人工的な密室になります。傍流が『傍流』として、豊かに存在することこそが、自由で、そして自然な社会の条件です。」
参考文献:東畑開人. カウンセリングとは何か. 講談社現代新書,2025,p65
そう。
化粧品を使ったスキンケアが世の中では大多数の支持を受けているけれども、化粧品を使わないスキンケアがあったっていいではありませんか。
二元論で考えるのではなく、一元論で考えるスキンケア。
善悪とか、正しい間違っているとか、白黒つけられるものではありません。
化粧品が好きで、塗ることで安心できるのであれば使えば良い。
メークした顔が好きで、元気がでるならメークすれば良い。
傍流である当院の肌ルネスキンケアは、港区白金で豊かに存在しており、そこに通う患者様も豊かな気持ちになっております
それでいいではありませんか。
世の中には山のように傍流スキンケアがあると思います。
それぞれ納得して、幸せな素肌を手に入れることができれば、それでいいのです。
自分と違うスキンケアを批判する必要はありません。
あれが正しい、これは間違いと決めつけなくていい。
スキンケアは一元論なのです。
いやー、これは私にとってコペルニクス的大発見でした![]()
コペルニクスと言えば地動説。
キリスト教社会では絶対と考えられていた天動説をひっくり返した大事件。
地動説は、当時は異端として扱われ、弾圧されていたのですから。
あれ、スキンケアも何だか似ていませんか?
今回お伝えしたかったことは、物事を一元論で考えてみるということ。
何か解決の糸口が見えるような気がします。
26年前、美容外科に進んだ私は、医療の世界では間違いなく傍流でした。
幸い、身近な友人らに否定されることもなく、父親は「人間それぞれ合った場所で花を咲かせればいい」なんて言ってくれて、皆に応援されているんだと、自信をもって美容外科の道に進めました。
傍流はライバルがいなくて、ブルーオーシャン![]()
お化粧品を使わずにきれいな肌になりたい人は、東京白金へお越しくださいませ。
スキンケアからご指導いたします。
