京都奈良修學旅行
10月は外出する機会が多く、先週は京都奈良修學旅行へ出かけました。
日本人として、日本の歴史や精神性についてもっと学びを深め、子孫に伝えなければならないという責任を感じています。
「○○宗を信仰しています」というような特定宗教はないにしても、神社やお寺に行ったらお祈りするし、困ったときの神頼みや、お天道様は見ている、ような感覚は日常生活に溶け込んでいるのではないでしょうか。自然や八百万の神を信じる心、これは立派な信仰だと思います。
高校時代、アメリカ留学した際、日本を紹介するスライドを作成して、アメリカ人相手に何度もプレゼンしたことがありました。
その時に“We have no religion.”と伝えていたことを、今になって後悔しまくりです。
信仰心が失われた訳ではないのに、日本人には宗教がないと教わっていたのか思い込んでいたのか。様々な儀式(形式)を重要視しなかった両親の影響と、バブルで浮かれ狂って大切なことを忘れていた自分への戒めとして、今こそ日本人としてのアイデンティティをしっかり持っていたいという気持ちが強くなりました。
京都では東寺の立体曼荼羅、三十三間堂の千手観音、そして明治維新で失われた幕末の志士たちを祀る霊山歴史館へ。
奈良では大仏様の東大寺、聖徳太子様の法隆寺へ。
お寺や五重塔などの建造物はもちろんのこと、仏像や絵画などの美術工芸品の精密で細やかな手仕事は、同じ人間の仕業とは思えません。東大寺の大仏様なんて、もはや再建不可能です。人間は進化しているのか退化しているのかよく分からなくなります。少なくとも私は、このようなや国宝や重要文化財に圧倒され、いや圧縮され、真空パックでペシャンコにされるような感覚になります。自分は何をしているのだろうか・・・と。あ、美容医療をやっていました![]()
日本の古いモノに触れると、美意識という観点から美容医療に通じる何かをいつも考えさせられます。
今回の観光はお寺巡りが主でしたが、清掃・整理整頓が行き届いた古いモノの侘び寂びを味わえる日本人の感性を大切にして、未来につないで行きたいと心から願います。
「法隆寺に使われている木造建築は釘もネジも使われていません。鉄筋コンクリートは100年持ち堪えられません。これら木の柱にはペンキが塗られていないから1300年も長持ちしています。もしペンキが塗られていたら、こんなに長持ちしませんよ。」と解説を受け、おお、木肌が素肌で、ペンキがファンデーションではないか!!と感じ取った次第です。
ファンデーションを塗ったら、素肌が傷んでしまうのよね。。。
あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり(万葉集)
このような歌が詠み継がれる日本。
歴史ある国に外国の人々が魅了されるのは当然ですね。
また機会がありましたら、日本の歴史や精神性について、海外の人に英語で伝えられるよう準備しておきたいと思います。






