医療法人社団晴栄会
白金ビューティフルエイジングクリニック

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Blog院長ブログ

新緑祭り2016

いよいよ本日から毎年恒例の『新緑祭り』が始まります!

今年のテーマは『素肌ルネサンス』

ルネサンス⇒再生・復活 をイメージして・・・

 

今年の春は、クリニックにとっても私自身にとっても転換期です。

クリニックのスタッフはガラリと入れ替わりましたし、今年は10周年ですので新しい計画を実行中です。

お客様の数も増え続け、予約が取りにくくなっている状況も何とかせねばと思案中。

10年経つと、いろいろな機器が古くなってきますので、これらも順次新調していきます。

そして10年蓄積した治療データも集計したいです。

プライベートでは、子育てが一段落。下の子もようやく中学生になります。

3月は小学校と中学校の卒業式がありました。

身長も抜かされます・・・

体力は全く敵いません・・・

そういうわけで、クリニックも私自身も含めて、今後のあるべき姿を見つめ直す意味を込めての

『素肌ルネサンス』というテーマにしてみました。

 

この春休み、子供たちを連れて屋久島に行きました。

ワイルド過ぎる大自然の中で、都会生活の快適さに慣れ過ぎた弱い自分に気が付きました。

自然の中ではゴミを出せません。

お水も大切にしなければなりません。

身軽に歩けるよう、荷物は最小限にする工夫が必要です。

とにかく自分の足で行って帰るしかありませんから、最後に頼れるのは自分の脚力のみ。

車も電車もありません。

自然の中で生かされている小さな私。無力な私。

樹齢何百年もの縄文杉と、森いっぱいに敷き詰められた苔の絨毯。

川や滝の水の音。鳥のさえずり。

癒されました。

出発直前まで痛かった仙腸関節のあたりの違和感が不思議と消えていました。

これって自然治癒力が高まったということでしょうか。

 

また、離島で暮らす人々にも関心がありました。

山岳ガイドのお兄さんも、フルーツ園や森のアスレチックで働くおじさんも、とても幸せそう。

毎日毎日同じことの繰り返しで、都会のような刺激や娯楽はなく単調そうですが、それでも彼らは自分の好きな事ができる喜びがあるのだと感じました。

町営温泉で地元の人に混ざって入浴した時は、よそ者の私たちにも優しく声をかけてくれました。

そして、のんびりしていました。

 

たくさんパワー充電しましたので、新緑祭りを頑張ります!

内装も新たに、春のおもてなしで皆さまをお迎えいたします。

 

 

時代は変わる

本日、16年間お世話になった北里研究所病院での最後の外来診療を終えました。

思いがけずスタッフの皆さんから寄せ書きと花束を頂き、患者さまからも温かいお言葉を頂戴し、良い最終日となりました。

思い返せば1999年の春、北里研究所病院が新しい建物になって新規オープンした年、美容医学センターが出来たことを日経新聞で知りました。すぐに電話をして、見学の申し込みをしました。そして当時のセンター長である宇津木龍一先生に「働かせてください!」と直訴して、一度は断られながらもようやく掴み取った美容医療への道。そのスタートが北里研究所病院でした。私にとっては今でも『聖地』です。

時は2000年、美容医療元年とでも申しましょうか。当時の美容医学センターの人気ぶりは飛ぶ鳥を落とす勢いでした。まだ20代だった私には眩し過ぎるくらいの素敵なご婦人たちが通っていました。日々の診療を通して、彼女たちから沢山のことを学びました。

意気揚々と研修をスタートしたものの、すぐに結婚・妊娠をして子育てと仕事の両立の難しさに直面しました。それでも、センター長をはじめスタッフの皆さまの温かいご理解のもの、何とか数年常勤として働き続けることができました。私としても美容医療駆け出しの頃でしたから、甘ったれたことも言えません。夫の留学で別居しながら仕事を続けた時もありました。そのお陰で、いろんなことを同時進行させる能力が高まったと思います。言い換えれば適当にやる、諦める能力かもしれません。

2006年に自分のクリニックを開院してからも、気が付けば10年間、非常勤で外来を続けてきました。

今夜、娘と夕食をしている時、「お母さん、お医者さんっていつになったら一人前になれるの?」と聞かれ、「そうだね、お母さんはようやく今頃一人前になったと思うようになったわ。」と、返事をしていました。

そうなのです、本当につい最近、昨年頃から、ようやく自分のやっている医療に少しは自信が持てるようになったばかりでした。一人で独立して診療していますと、全責任は自分にありますから、患者さんにとって不利益なことはしてはならないという気持ちがいつも心にあります。そして美容医療はスタンダードがあるようで無いような曖昧なところもありますから、学会等で他の医師の意見も聞きながら、自分のやっている医療はどうなんだろうか?と考えないことはありませんでした。

しかし、患者さんがついてきて下さること、きれいになって感謝されること、ご家族やお知り合いをご紹介下さることの積み重ねで、自分の施している医療に少しですが自信が持てるようになりました。

ですからこのタイミングで、本当にお世話になった北里研究所病院とも「さようなら」なのだと思います。

 

他にもこの春は私にとって節目となることがたくさんあります。

ご存じだと思いますが、昨年暮れからスタッフが大幅にチェンジしました。

プライベートでは、下の子供が中学生になります。子育ても一段落です。

ここには書けませんが、まだまだいろんな変化がありました。

これらを踏まえて、4月から毎年恒例の『新緑祭り』を企画していますので、どうぞ楽しみにしていて下さいね。

 

君子の交わりは淡きこと水の如し

高校時代の親友がいます。

当時は毎日のように遊んでいました。

恋の悩みや勉強のことなど、何でも話し合った仲です。

結婚して子供を産んでからは、年に1回くらいしか会っていませんが、不思議と心が通じます。

会わなくても何だか分かるのです。

彼女はまだ子供が小さいし、お互い仕事をしているので、なかなか会えません。

私はずっと直接会うことに意味があると思っていましたが、先日誕生日のメールを送った時、「あ、会わなくても心が通じている」と感じました。

『君子の交わりは淡きこと水の如し』 大人になってようやくその意味がすっと入るようになりました。

 

いつもベタベタ一緒にいることが幸せなのは、青春時代の話。

でも、大切な人とは、たまに会って寄り添いたいですね。

 

 

為せば成る

今月お気に入りの言葉;

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」  上杉鷹山

よく通るお寺の前に、月替わりで格言が貼り出されている。

人は出来ないことにいろいろ理由を付けたがる。

忙しかったから・・・ とか、子供がいるから・・・とか、何とかかんとか。

そりゃそうだ。人生時間は有限だから、何もかにもできるというものではない。

だから物事に優先順位をつける。

順位の高いものは、何がなんでも「為す」

順位の低いものには、何やかんや理由を付けて「為さぬ」のだ。

この意識は、人生有意義に生きていく上で、とても重要なことだと思っている。

結構楽しそうに、欲張って生きている人は、たくさんのことを為しているように見える。

この「為せる」能力は千差万別であり、高度な能力がある人は豊かで幸せな人生を過ごすことが出来るのだと思う。

では、この能力に差が出来るのは何故か?

子供の頃からたくさんの経験・刺激を受け、柔軟な思考を持ち、好奇心旺盛であることが「為せる」能力を高めているのではないかと感じている。

特に海外生活を経験している人たちは、私にとって個性的で魅力的に見えるのである。

異文化を肌で経験すると、いろいろな考え方やモノの見方に触れることができるから、発想が柔軟になる。

そして日本にいては遭遇しない問題にぶつかることもあり、それらを解決する能力も磨かれる。

精神的に豊かな人生を送るには、人間の複雑な能力の集大成が生かされているのだろうと思う。

 

2月は受験シーズン。

受験も人生の通過点だが、第一志望に入れなくても敗北者ではない。

難関校に入れば人生バラ色というものでもない。

結果をどう受け止め、どう考えるかはその人次第である。

 

 

 

 

百人一首

今週末は美容医療について、たくさん勉強した。

まだまだいろいろな角度から、治療結果の満足度を高めることが出来そうな気がしてきた。

もっともっときれいに仕上げることが出来そうな・・・

美容医療の世界は日進月歩、学び続けなければクリニックの存続は危うい。

しかし、やればやるだけの結果が出ることも事実。だから全く苦にはならず、むしろ楽しい。

もっともっと治療レベルを高めて、患者様に喜んでもらいたい。

きれいな結果が出れば、私自身も最高に幸せだから。

 

医療以外には、変わらずボイストレーニングと英会話と料理教室も続けている。

10年前の従弟結婚式でのスピーチを録画したビデオを見たら、自分の声が全然違うことに気づいた!確実に進歩している、と思う。先生はアーティストだから、音楽についても学ぶことができて右脳が刺激される。

英会話はもっとレベルアップしたいところだが、日常生活であまり話す機会がないのが残念。機会を見つけては、自分の意見を臆せずしゃべりまくるよう心掛けている。

料理教室は、先生の繊細な感性と作業に惚れ惚れする。日本人にしかない感性! 正直、お料理はあまり得意ではないのだが、老後一人でもちゃちゃっと自炊できるように通っている。良い素材を選べば何とかなるだろう。

 

冬休みから、家族で百人一首をやっている。毎年、スキー旅行に行くと、夜行う恒例行事となっている。百人一首というのは改め読んでみると恋歌が多いような気がする。物悲しい響きもあるが、なかなかロマンティックな音色だ。現代ではLINEのような役目を果たしていたのだろうか? 今夜は息子と二人で対戦したら、負けてしまった。スキーも負けたし、これから追い越されるばかりだろう。だからこそ、年を重ねてこそ得られる知恵や深みのある大人でいられるよう自分自身を磨いていたいと思う。

 

白衣

私は研修医の時から、ずっとワンピース型白衣を着ている。

美人の先輩医師が着ていたから。

最初は森英恵デザインのものを購入した。Aラインのふんわりしたデザインが好きだったから。

白、ブルー、ピンク、グリーンを4着買って着まわしていた。

作業着だし、私服が汚れることもないから、何の疑問もなく着用していた。

自分で開業してからは、もっとデザイン性のあるエステティシャン用の白衣を着ている。

 

しかし! 今月はクリスマス月ということもあり、当院のテーマは“Disco Xmas”

スタッフ全員、黒のブラウスと金色スパンコールのスカート、そして髪にはスカーフを巻いてみた。

統一感を残したのが吉と出た。

私はボディコンシャスなワンピースを着たり、赤いニットやスパンコールのスカートを着ている。

これが患者様に大うけ!!している。

「先生、いいね~(^^♪」とか、「白衣要らない!」

「白衣は個性を消すからね。」とまで言われて、その予想以上のレスポンスに驚かされる。

私が調子に乗ってポーズをとったりすると、さらに喜んで下さる。

毎日仕事が楽しくて仕方ない。

 

白衣とか医者とか、既成の殻に私は閉じこもっていたのではないだろうか?

先日、忘年会の2次会で、強烈な個性を放つ人物に出会い、少し酔っていたこともあって思わず惹きつけられ挨拶をしてしまった。

その方のファッションやメークの表現力に圧倒された。好きだった。

 

結婚して15年、子供も2人いて、医師という職業。

無鉄砲に弾けまくっていた青春時代を卒業して、堅実に保守的に生きてきた。それが心地よかった。

必要な15年だったと思うが、白衣の中で私の個性が消えていた。

もっともっと面白いことを表現していきたいような、ふつふつと沸き起こる何かが胸の中で響いている。

 

今年は少し前進できたようだ。

来年からは白衣を脱ごうかしら。

 

 

情緒

私の子供時代は、少々情緒不足だったように思う。

兄と私はピアノを習っていたが、兄はショパンを上手に引いていた。

私はベートーベンの曲が好きで、重苦しい重厚感に酔いしれていた。

作文集を読むと、解説文のようで、実に色気がない。

曖昧さよりはっきりとした結果を好むタイプ。

フランス語よりドイツ語。

恋愛小説よりアクション好き。

こんな私でも、40年以上生きて様々な経験を積むと変わるもので、今現在は少し情緒の芽が出てきているように感じている。

(性格診断をすると、プロモーターという感情豊かな部類に入っている!)

しかし、論理的な根っこの部分はそう簡単に消えはしないもので、質実剛健体質が好きな部分も隠し得ない。

 

今夜、久しぶりにピアノを弾いてみた。ショパンのワルツの楽譜を引っ張り出し、小中学生の頃弾いたことのある曲をなぞってみた。

指を動かし続けていると、何となく思い出すもので驚く。

子供の頃は、圧倒的な経験不足からくる情緒欠損だと思った。

今の私なら、もっと気持ちを込めて複雑な音を奏でることができそうだ!

少し練習してみようかしらという気になる。

 

それにしても、10代の若さで卓越した表現力を持つアーティストなりアスリートには驚かされる。

超人的な努力の先に見えるものなのだろうか。

 

人生後半は、もっともっと感情豊かに、人生哲学を楽しみたいと思う。

 

未完成

シューベルトの『未完成』を聴いています。

この曲、中学生時代、帰宅後に部屋を暗くして、絨毯の上で膝を抱えて毎日毎日聴いていた思い出の曲です。

自己の『未完成』に引っかけていました。

 

中学生の頃は、自己形成の階段を上っている時期。

思春期とも言いますが、精神は大人になったつもりでまだまだ子供。

何だか生きづらかったような気がします。

テニス大好き、英語大好き、そちらの方面には随分エネルギーをつぎ込みました。

一日も早く留学したいのに、中学生の交換留学制度がなく、帰り道に本屋に行って情報収集に明け暮れました。

高校まで待ちきれず、中学3年の夏に短期留学してしまいました。

正義感に燃えて、生徒会長もやりました。

意味のない校則撤廃に1年間取り組み、着用可能なトレーナーの色を4色に増やしました。(そんなことを思い出してびっくり!)

パワフルに生きていましたが、何かあか抜けない自分に本当の自分ではないような、もやもやしていた気持ちを抱えていたのでしょうね・・・

 

お、今度はマーラーの交響曲第2番。

これも大好きでした。

中学生の心の中は深い闇の中ですね。音楽のメロディーは心を代弁してくれていたようです。

 

クラッシックばかりではありません。英語学習のために、マドンナの曲を片っ端から暗記したものです。

そして、中学生なのに高校の文化祭のディスコへ行って踊るのが楽しかった!

80年代前半、ディスコ流行りでした。

友人と(もちろん親も)スキーへ行ったら、ホテルにもディスコがあって、夜は汗だくになって踊っていました。

やはり変わった中学生だったと思います。

 

院内で“接客研修”を始めました。

お客様に喜んでいただく接客には、ある程度のセオリーがありますので、基本的なところをスタッフ全員で学びましょうということで始まりました。

当院エースのスタッフ渡邉が講師。

最初に、「みなさんの女性としての旬はいつでしたか?」から始まり・・・(すでに過去形)

「28歳」

「32歳」

「24歳」

「25歳」

「今」・・・これ私です。

しかし、女性として身体的に一番美しい時期と言われれば、やはり25歳くらいかな・・・と思いました。

その頃の写真を見ますと、若いですよね・・・ 😥

そして渡邉が、

「ということで、みなさんはもう旬を過ぎているわけですから・・・」とバッサリ!!

私から見れば、みんな若くて将来も楽しみだと思っていたので、このバッサリの現実にはドッキリでした。

旬は過ぎているので、何も努力しなければどんどん衰えてしまうので、個を磨き、人生経験や知恵によって現在をベストな状態に維持できるよう頑張りましょう!ということでした。

子供の頃、母に、「若さでしか勝負できない仕事はやめなさい。」と言われていました。

人は短絡的に物事を見る傾向がありますが、結果が出るのには時間がかかります。

若い人たちには、目先の快楽に惑わされず、じっくりと先を見据えて人生設計をしてほしいと思います。

若いときの努力は買ってでもしろ!ですね。

私事ですが、結婚生活14周年を迎えました。

14年経ってようやく、家族を持つことの有難みを実感している今日この頃です。

 

帯と日本画

先日、ある招待で

「帯匠 誉田屋源兵衛 × 日本画家 松井冬子」トークショーに出かけました。

私は着物を着ないので知らない世界でしたが、日本のずばぬけた染色技術や織る技術の高さに感動しました。

世界でも突出しているそうです。

歌舞伎を時々観るのですが、いつも色鮮やかな数々の衣装を見るたびに、その色使いと美しさに「日本は凄い!」と思っていました。

日本人はやっぱり着物を着ないとなぁ、と思いつつ。。。一つも持っていません。。。

また、美しい松井さんのドキッとする絵も何とも不思議なものがあり・・・

松井さんは小学生の時に学校でモナリザの絵を観たことがきっかけで、芸術家を目指そうと思ったそうです。

人間のアンテナって人それぞれ違う方向に立っているので面白いなと思いました。

(ちなみに私は小学生の頃、歯医者さんに通うことが楽しくて歯科医師を目指したことが医者になったきっかけです。)

お話を聞きながら、自分の仕事でもどのように美を表現しようかしら?などと創造が膨らみました。

このトークショーに誘われる少し前に、ある患者様が松井冬子さんのお話をしていたのでアンテナに引っかかりました。

何でもいろいろな方向にアンテナを立てておくと、それがあるとき繋がります。その繋がった瞬間が楽しいのです。

日本文化のレベルの高さを改めて実感した一日でした。

美容医療も頑張ります!

 

 

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