院長ブログ

遣唐使に思いをはせて

日本の歴史、特に古代~奈良時代に魅力を感じています。

20代の頃から日経新聞を読むのが日課でして、

文化面に連載小説がありますが、

今ちょうど『ふりさけ見れば』(阿部龍太郎作)を毎朝の紅茶と共に楽しんでおります。

遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に取り入れられ、日本への帰国が叶わず一生を唐で終えた阿倍仲麻呂が主人公です。

阿倍仲麻呂といえば、百人一首にある「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」で有名ですね

西暦700年代が舞台。日本は天皇を中心とした新しい律令国家を作るために、古事記や日本書紀が編纂された頃のお話です。

物語の詳細は省略しますが、

今朝驚いたことは、昔の人の時の流れる感覚距離感です。

日本からの使者は、海に近い❛蘇州❜という場所にいて、

皇帝に対面するために❛洛陽❜という内陸の都市に行くことになりました。

中国大陸は広いので、一体どのくらいの距離を移動するのだろうか?とgoogleで調べたところ、

937.1㎞、現代の車移動で9時間35分かかるそうです

(ちなみに、東京⇔福岡の距離は1072.2km、車移動で13時間2分です。)

この移動をするために、2月10日に蘇州を出発し、3月15日前後に洛陽に着く予定だと書かれています。

そして4月1日に皇帝に謁見するとか。

 

移動に1か月以上ですよ・・・

移動は馬に乗るのか歩くのか知りませんが、起きている時間の大半を移動に費やし、その時間は一体何を考え、どんな景色を観て、皆と何を話していたのでしょうか?? 移動中、体が辛いとか、お腹が空いたとか、あの娘可愛いなとか、何を感じていたのでしょうか??? どんな宿に宿泊し、何を食べていたのでしょうか。山賊に襲われる危険はなかったのでしょうか。

昔と今を比較すること自体ナンセンスかもしれませんが、生活様式があまりに違いすぎることに、違和感を感じずにはいられません。

中国から仏教など学んできたエリート日本人が残した書物、経典、仏像、美術品、建築などは、1000年以上経っても輝きを放っています。

私など一生かかって何を残せるのかと、己の生きてきた道のりが驚くほど軽薄なことに嫌でも気づかされてしまいます。

 

先日、学会帰りに奈良を再訪した時、遣唐使船の実物大のレプリカを見ました。

「こんな木の船で、荒波を乗り越え大陸に渡ったの?」というような小さい船でした。

日本という国家の基礎を築くために、命がけで大陸を目指したエリートたち。

江戸末期に渋沢栄一や薩摩・長州の武士たちが欧米諸国へ学びに行きましたが、それより1000年以上前のことですから、遣唐使の方々には本当に頭が下がります。

物質的な豊かさは満たされた今、我々は何を求め、何を学びに、どこに行くべきなのでしょうか。

そのような哲学的な問いを立て、思考する時間を得るためにも、1か月くらい歩いて移動する時間は貴重なのかもしれませんね。

奈良を観光する時、ついつい効率よく巡ろうなどと欲が出てしまい、観光タクシーを利用してしまうのですが、

先日患者さんから、

「先生、奈良は是非歩いて回ってくださいね。」とアドバイスを受けました

そうですよね、時短のために使うテクノロジーが、どれだけ地球に負荷をかけ環境破壊につながるのか猛省

賢者は歴史に学ぶ、ですね。